短編小説【じこまん】
お題【車】【青年】【かみなり】
ハンドルを握る手に、さらにぐっと力がこもる。どっどっと、激しくなる鼓動を落ち着かせる様に、青年は息を吐いた。
「大丈夫、僕ならやれる」
言葉とは裏腹に、その声は弱々しい。
窓の外の天気は、あやしく、黒い雲に覆われていた。今にも雨が降りそうだ。
青年は、車のスピードをあげる。
終わりへの道だ。最後のチャンスだ、やるしかない。
青年の頭の中で、強気な自分がぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐる、囁く。
「ぅわああああ!!!!!!」
青年は、悲鳴のような、泣いているような奇声をあげ、ハンドルを切った。
...ピカッ-ーーーゴロロロロ
同時に稲妻が落ちる。
この世の終わりのような景色だ。真っ黒な世界に、死を告げる稲妻。
そして、絶望していた青年の、最後のチャンス。
一人で死んでたまるか、
どうせ死ぬなら、誰かと一緒に死んでやる。
何もできないお前が、みんなができない人殺しをやってみろ。あいつらを見返そうぜ。
悪魔が、そう言ったんだ。
僕にだって、できることくらいある。
青年は、生臭い血の匂い。声にならない悲鳴。徐々に大きくなるサイレンの音に、ほくそ笑み、目を閉じた。
青い鳥たちは笑う。
死ぬなら、勝手に一人で死ね。
園児の集団に突っ込んだものの、誰も巻き込まれずに済んだんだって。本当に良かった。
被害者はいなかったみたい。
あいつ事故起こして死んだって。しょうもないよな。何もできないうえに、人殺しになろうとするなんて。
車と青年とかみなり
短編小説【憂鬱ではない雨の日の朝】
お題【雨】【ブラシ】【ハンガー】
愛美は、サーッとした雨の音で目を覚ました。薄暗い部屋と、自然のラジオが心地よく、また眠りたくなってしまう。
なんて、最高の休日なの。温かい布団の中で今日の楽しみを考え、雨のなか会社に行かなくていいこの時間が、幸せすぎる。
「うきゃぁ、ああ」
愛美は布団の中でぐぅーっと体を縮める。嬉しさのあまり変な声がでる。
もぞもぞと、ベッドから体を起こすなり、愛美はカーテンを開けた。窓には、まだ眠そうな自分の姿が薄く映る。
今日の寝癖は中々芸術的かも。
愛美がふふと笑うと、そうだね。と答えるように、窓の自分がにっこり微笑み、スーッと窓からベッドの上へと移った。
愛美の黒く長い髪を一束、優しく持ち、そこにブラシを毛先から通していく。
くん、とたまに頭が後ろになりながら、愛美は問いかける。
「いつも雨の日に来るよね」
「うん、そうだよ」
「晴れの日は来ないの?」
「うん」
「そっか、残念」
サー、サー、雨の音と。スッ、スッ、髪を梳かす音と。
「ねぇ、あれ新しく買ったの?」
「ん、どれ?」
愛美は部屋を見渡す。
「あぁ、ハンガーのこと?」
「うん、可愛いね」
真っ白の木製のハンガー。そこにはお気に入りの洋服たちがかかっている。バラバラだったハンガーを統一したら、思いの外、見栄えがよくなった。
「洋服たちも嬉しそう」
「でしょ?私にしては良い買い物だった」
「ふふ、そうだね。...よし、きれいになったよ」
ありがとう、と振り返った愛美は眉を少し下げた。いつもそうだから仕方ないのだけど。
雨の日の朝はいつも、もう何年も前に亡くなった母が、当時、母が使っていたブラシを持って会いにきてくれる。
白い木製のハンガーにかけた洋服たちは、母に譲ってもらった物だ。
母の物に対して、何か物事を起こすと母の方から話しかけてくれる。そういうお呪いにでもかかっているのだろうか。
顔を合わせて話をすることもできないけれど、愛美は雨の日の朝が好きでたまらない。
雨とブラシとハンガー。
短編小説【夏】
お題【扇風機】【オレオ】【カーテン】
エアコンのない僕の部屋は、扇風機が主役だ。きっと扇風機の前を陣取る彼女は、僕よりも扇風機くんを選ぶのではないだろうか。そして秋になれば、また僕に乗り換えてくれるのだろう。
「あづいい~」
彼女は、扇風機を通して僕に不満を訴える。暑いよね、僕も暑いよ。扇風機の風は当たらないし、カーテンの隙間から微かに入ってくる風は生暖かくて、ほんと鬱陶しい。
「もうさ、カフェでも行こうよ」
さっきから、僕は出掛けることを提案しているのだけど、外は暑いから嫌だと彼女は繰り返す。この部屋も大概だと思うのだけど。
「なんか、冷たいもの飲もうよ」
「あー、牛乳ならあるけど」
冷蔵庫には、牛乳と、卵と、それから昨日セールで買ったキャベツ1玉。最近値上がりしているから、つい買ってしまったものだ。
一緒に冷蔵庫を覗き込む彼女はげんなりした顔をする。
「なにこの、全く魅力のない冷蔵庫!もっと、アイスとか!せめて、麦茶とか!夏っぽいものはないの!」
「夏っぽいものって...」
冷蔵庫に季節感を求めたことはないから、思いがけないクレームに、心がしょんぼりしてしまう。
確かに、彼女が遊びに来ると分かっていたら、アイスぐらいは買っていたかもしれない。だけど僕の予定では、今日は涼しいカフェにでも行ってお茶をしようと思っていたんだ。
「もぉー、そしたら、牛乳飲んでいい?」
「牛乳でいいなら。お菓子もあるけど、食べる?」
「なになに?」
さっきまで怒っていたように見えた彼女が、尻尾を振りだす。
「ポテチと...」
「おぉ!」
「あと、あ、オレオあるよ」
「はい、食べよー!」
牛乳にね、いれて食べよ!
そしたらカフェ気分でしょ?
テンションの上がった彼女はグラスに牛乳を注ぎ、オレオを二枚ずつ丁寧に入れる。
冷たい牛乳の中で、黒い物体が徐々にふやけていく。スプーンでつつくとプカプカ、生きているみたいで少し可愛いが、容赦なく潰していく。
そういえば、さっきは当たらなかった扇風機の風が僕にも当たる。どうやら、彼女が少し場所を譲ってくれたらしい。
そよそよと僕らの髪と一緒に、カーテンも揺れる。
オレオが混ざった牛乳は、カフェのようにおしゃれではないが、ほどよく甘く、火照った体を冷やしてくれる。
「暑いのも悪くないよね、冷たいものが美味しいし、体がそれで喜んでくれるもん」
「そうだね」
どうやら、僕らは簡単なことで喜べる体をしているらしい。悪くない、単純で。
扇風機とカーテンとオレオ。